
教育とは、畢竟、子供達に知的渇望をいだかせることだ、と言うのが私の信念です。
アイザック・ニュートンは私たち人間を、真理という大海の渚で貝殻を拾って喜ぶ子供に譬えましたが、子供達もまた飽く事無き知的好奇心を持って日々を生き、その心を満たすことで成長していくのです。
本学院では、子供達の知的好奇心を育みつつ、その精神が著しく成長する十二年を通し、以下の二つのアプローチから子供達の成長を支援したいと考えています。
その一つは教育の「方法論」とも言うべき側面です。
これは子供達に必要な多くの知識をいかに効率的に身に付けさせるかを目指し、一貫教育校としての教育内容の精選や、多様な進路志望に対応するきめ細かな教育課程の編成、あるいは正確な受験情報の周知など、自身のキャリア選択に必須の知識やスキルを体系的に身に付けさせる事を目的とする私学教育には不可欠な要素で、言うならばナンバーワンを目指す教育です。
しかし、教育はただ知識の多寡を問う事に加え、子供達自らに「なぜ学ぶのか」「なぜ生きるのか」を自問させるものでなくてはなりません。何故なら、真理を希求するため、また知を愛するがゆえに学ぶという、学びの本質を子供達に伝える事無くして教育は教育たりえないからです。
これが教育の「意味論」、言うならば子供達の自己言及性を涵養し、オンリーワンの自覚を促す心の教育です。
本学院では今後もこの方法論と意味論という二つの側面から教育に取り組み、子供達に自身の未来を切り拓く力を育みたいと考えています。
大正15年の創立以降、仏教精神を礎とする『敬虔』『勤労』『高雅』の三大目標を掲げ、2万人を超える子どもたちを送り出してきました。
『敬虔』とは「自己中心性を捨て、謙虚にわが身を振り返る素直な気持ち」、『勤労』とは「自分から進んで皆のために身体を働かせるという実践を通じ、自らの心性を高めること」、『高雅』とは「敬虔な心と勤労を通じて自らの心身を整え、人間性と気高い品格を備えた状態」をいいます。また、これらの目標を実現するために必要な二つの心が「智慧(ちえ)」と「慈悲(じひ)」です。智慧は、「真理を探究する心」のことを、慈悲は、「他者を思いやり慈しむ心」を指します。真理を探究するためには、まずよく学びより多くの知識を身につけねばなりません。
小・中・高12年間一貫教育の中で、基礎学力の習得や学習習慣の定着から始まり、応用力も含めた確かな学力の養成、そして個々の生徒の自己実現を目指しています。その成果は、高い進学実績としても現れています。 また、思いやりや慈しむ心を養うために、宗教的情操教育を行っています。仏教の考えや世界観を通して、お互いに生かし合い生かされ合う「命」について深く考えます。そうすることで、自己中心的な考えから心が解き放たれ、日常生活で友達と共に喜び、悲しみをわかち合う心にも繋げています。 いかに多くの知識を身につけても、他者を思いやり慈しむ心を持たなければ社会にとって有益なものとすることはできません。これら2つの心は兼ね備えてこそ意味を成すのです。 以上のような教育方針に基づき、将来、子どもたちが、高い教養を持ちながら慈しみ深く、また明るく積極的でありながら礼節が整った女性へと成長できることを期して日々の教育にあたっています。
本学院は大正15年に創立して以来、仏教の精神を校風に反映させ、[敬虔・勤労・高雅]の三大目標を打ち立て、女子教育に取り組んできました。
女子一貫教育には、一人一人が自己実現するためのカリキュラムが用意されています。未来は、伝統を超えていく。 本学院は、時代とともに成長し続けています。
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